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第60回大澤駅伝大会に参戦

6区岩瀬さんからのタスキ渡し。この瞬間、最高です。

ついにやってきました、大澤駅伝。この駅伝に憧れて走り始め、佐野走友会に入会し、今に至ります。

当日は、やはり次男の夜泣きに悩まされ、睡眠不足のまま朝泣きで4時起床。8時に佐野市の陸上競技場に集合。佐野走友会の先輩方、高齢化で走りの話より、年金がメインの話題になっていました…。私が入会した頃は5,000メートルをいかにして16分台で走るかとか、そんな話をしていて、「こりゃ、とんでもないところに入ってしまったな」って思っていたのですが… 気を取り直して、1区の応援。

専修大学で今年の箱根駅伝3区を走った酒井潤一選手ですよ。速く走る方法がよく分かりました。飛ぶんです。彼、飛んでました。足を地面に着くとスピードが落ちますが、ストライドを大きくし片足がつく前にもう片足を前に出す…。アップのときに練習してみましたが、出来ませんでした。テレビ中継だとユッタリ走っているように見えますが、生で見ると凄いです。 第6中継所。招待チームの日本大学。

すみません、名前忘れました。ゼッケンの名前とは別の方だと思います。

たすきを渡した後30メートル位駆け抜けています。それ程トップスピードで中継所に入ってきているのでしょう。

私なんか中継所・ゴールではしゃがみこんでゲホゲホしてますよ。

さて、6区の岩瀬さんからたすきをもらって元気に駆け出し、ノロノロ走っているチームを一人抜いた。

その後佐野T.C.(トライアスロンクラブ)でお世話になった小山さんがママチャリで伴走してくれました。

「前の16番、足が回ってないからすぐつかめるよ」「力が入ってる。肩の力を抜いて」「3分30秒ペース(実際は違う)だから、すぐ前に追いつくよ」と声をかけてくれる。

心強かった。短い距離だから、とあまり緊張感無かったのですが、テンパってて走りがガチガチでした。小山さんのおかげでリラックスできました。しかし…、前のチームを詰められず、中学生チーム4チームくらいに抜かれた…。まだまだ力不足を痛感。 しかし、佐野走友会Aチームは参加25チーム中21位ですか。

私がAチームに入った時点で予想はされましたが、悔しいですよね。来年は5000メートル17分台の記録を持って臨もう!?

[…]

栃木県郡市駅伝

今年も観戦してきました。郡市駅伝。去年はこちら。

今年は次男が増えたので、あまりあちこち行けずに運動公園で観戦。

復路6区スタート。私が毎日トレーニングしてる陸上競技場がスタート。一番右が東洋大学の渡辺公志選手。

大澤駅伝選手選考会で

ご無沙汰してしまいました。マラソン・駅伝のシーズンとなり、毎週のようにレースが開催されています。 私が所属する佐野走友会でも先月29日、来年2月に開催される大澤駅伝の選手選考会が行われました。5000メートルのタイムトライアルです。

真ん中は神奈川大学で箱根駅伝1区を走った名ランナー、小出選手

子守に追われ、夜泣きで夜何度も起こされ熟睡できない日々が続いています。

練習もままならない状態、身体もまったく絞れていません。

目標はキロ3分50秒で、5000メートル19分10秒が目標でした。

結果は最初の1000メートルのみ3分50秒、あとはズルズルとペースが落ち、19分52秒でした。 佐野走友会も高齢化が進みかつてのような競争で切磋琢磨する雰囲気でなく、少々寂しい気もしますが、走りのスタイルは十人十色、基本は1人なので現状で頑張ろうと思います。 選考会後、競技場で練習していた佐野日大高校の小池寛明選手に子供達を抱っこしてもらいました。

今年は残念ながら都大路の出場を逃してしまいましたが、昨年の県予選突破の立役者、都大路ではアンカーで一人抜いた実力者。「可愛い、可愛い」と言ってもらいました。

小池選手、来年は東洋大学に入学して、箱根駅伝を目指すそうです。うちなんか早稲田オンリーでしたが、東洋大学も応援しなくてはなりませんね!

岩舟駅伝にチャレンジ!

またまたマラソン・駅伝ネタ。今日は岩舟駅伝にチャレンジです。 申し込んだ時には、右足裏痛は今日くらいには治ってるだろう…、と期待していましたが、結局今日まで痛みは引かず…。まあ、私が走る区間は3.8キロだから何とかなるだろうと… ところで、いつも通り子供をジョギングストローラーに乗せて会場入りしたものの、今日は駅伝。これで走るわけにもいかず。走友会の昔のエース小菅さんに佐野日大高校の陸上部の大門選手の父兄の方を紹介してもらい、子供を見てもらうことに。ありがとうございます!

子供は爆睡中。 高校駅伝の都大路でアンカーを務めた小池寛明選手がうちの子供を「可愛い!可愛い」って言って下さり、抱っこしてもらったんですが、号泣してしまって…。失礼しました。

レースは私の担当は1区3.8キロ。どうにも足が痛くて、また、子連れだったのでレース前トイレにいけず、う○こを我慢しながら走りました ^^;

普段のジョギングでは3.8キロなんてあっという間なんですけど、なんでこう、レースとか、タイムを図る時って、超長く感じるのでしょうか…?15分5秒もかかって、2区走者、元箱根駅伝ランナー小出選手にタスキを渡してトイレに直行しましたよ。2キロくらい体重が軽くなった感じです。

走友会Aチームアンカー、O林選手。最近全然走ってないでしょ?走友会もメンバーの高齢化で活動が少々停滞気味。 さらに足を痛くして、帰路につきました…。

[…]

結城シルクカップにチャレンジ

去年11月からの足裏痛がよくならず、「よくなったかな?」と思って走り始めると、また余計に痛くなる。この繰り返しで…。今回の故障で学んだことは「痛みを感じたら、休む」これに限ります。走って治る痛みもあるのでしょうが、見極めは難しそうです。 というわけで、練習ゼロ・気合ゼロ、体力増進目的でシルクカップに望みました。

体がランナー体型じゃないよね?

例によって、ジョギングストローラーに子供を乗せて、会場内をウロウロ。

売店で、いつも一緒にジョギングをしている栃木市代表の名ランナー磯選手に会い、挨拶。

子供が磯さんが酒のつまみに、と買い求めたピーナツを欲しがり、一袋頂いてしまいました…。

農業が盛んな土地柄、売店はトマト・白菜・大根・ピーナツなどの農作物、ゆで饅頭、うどんなどの名産品で祭りのよう。 最後尾からスタート。途中、名前は存じ上げませんでしたが、小山向野JCのメンバーの方と併走し「おぉ!(ジョギングストローラー)いいですね」「ちょっと押してみますか?」「あ、いいんですか?」「どうぞ。ためしに」という会話。少し押してもらう。私はもう慣れているのだが、初めての人は難しいみたい。

という感じで50分でゴール。ゴール後磯さんに「汗もかかないで終わっちゃいましたよ!」と強がったところ、「そんなこと言って。こめかみが塩で結構白くなってるよ」と返されてしまいました。

桐生堀マラソン完走記

行ってきました。走ってきました。もう1週間も前のことですが…

この桐生堀マラソン、実は私が最初に走ったマラソン大会なんですよ。さかのぼること15年以上前、かの地でサラリーマンをやっていたころ、地元貢献と言うことで休日出勤・手当て無し・代休無しで、職務命令で走らされました。確かファミリーマラソンの部、3キロ。当時は走ることが大嫌いなデブで、また仕事は好きだったのですが、こういった休日の強制された行事が苦手だったのでささやかな反抗を試みました。革靴とジーンズで走ったり、スタート直後200メートルくらい全速で走って目立ってみたり、その後急激に失速してほとんど歩いてしまったり…。そんな私が今は誰にも言われず朝5時前に起きて走っているとは…

その後転勤になり、お客さんから「橋本さん、痩せたいならジョギングだよ!男だろ?走りなさい」と言われ、目覚めたように走り始めました。当時公私共々ストレスのかたまりで、食べることによって発散していた私は体重が87キロにも達しており、危険を感じたことにもよります。

ジョギングを開始した翌2001年、初ハーフマラソンが桐生堀マラソンでした。1時間44分くらいかかったでしょうか?2002年、体重を68キロにして望んだセカンドハーフマラソンは1時間24分、最後の2キロの市街地コースでは佐野走友会のエースランナー落合選手と競り合いながら、5秒差で勝利をおさめました。

以後、事情があって、約2年間のブランクの後、2005年に再挑戦。1時間26分で走りきった後、長い低迷期に入ってしまいました。体重が増え、また、トレーニング不足で各レースでは自己ベストが更新できず、ヤル気を失っている状態が続いています。

そんなこんなで、桐生堀マラソンは私にとってのベンチマークとも言えるレースで、毎年このレースにあわせてトレーニングを積みたいと思っています。コースも前半折り返しまでが緩やかなのぼり、後半はくだりで疲れてはいるものの、スピードに乗れ、ラスト5キロは10キロコースの参加者などと競れることもあり、ラストの力が発揮でき、かなり条件がよいレースであると思います。

さて、今年の堀マラソンですが、11月からの右足裏の痛みで十分なトレーニングが積めず、また当日も強烈な痛みが予想されるので、ジョギングペースで望むことにしました。当日は子供を見てくれる人がいないので、朝5時半に寝ている子供を起こし、着替えを持って車に乗せ、出発!

会場についてから、受付を済ませ、子供に握り飯を食べさせ、スタート最後尾に並びました。とにかく、楽しく完走できればいいと。スタート付近で、子供がちょろちょろし危うく見失いそうになりましたが、ジョギングストローラーに乗せて無事スタート!

やはり3キロくらいから右足裏が痛くなってきた…。もうやめようか…。5キロ通過25分とちょっと。すれ違うランナー、道路脇で応援してくださる方たちから、「わあ、可愛い!頑張って!お父さん!」と言う掛け声がうれしい。給水所でもたくさん声をかけていただいて、楽しく走る。まったく疲れずに折り返し地点まで。若いお兄さんから、「いいですね!憧れます」と言う声も。「走りに理解のある人と結婚したほうがいいよ」とアドバイス。ラスト5キロになって右足をかばう走りをしていたせいか、左足ひざに違和感を感じ始め歩く速さになってしまい、結局1時間50分でゴール。

来年は何とか万全な状態で走り、自己ベストを更新したい。

[…]

大澤駅伝

第59回大澤駅伝競走大会に参加してきました。所属している佐野走友会のBチームの3区を走らせていただきました。

朝5時に起きて、子供はまだ寝ていたのですが無理やり起こし、実家に預けて佐野市陸上競技場に向かいました。

昨年の大会は雪で中止になったので2年ぶりの開催になります。 この大会でいいパフォーマンスをしようと頑張ろうと思っていたのですが、昨年11月からずっと右足裏が痛く、練習もままならず不完全燃焼で終わってしまいました。

直前に走友会の会長にサポートに回るので補欠の方に代わってもらえないか。。。と相談したのですが、「楽しんで走りましょう」とのことで出場に踏み切りました。

招待チームの日大。3区は箱根駅伝で10区を走った吉田和矢選手。ビジュアル系。

レースはうちのチームが最後尾!白バイを引き連れて2区の古橋さんがやってきました。私も引き続き白バイ、広報宣伝カーの前を走る羽目に。白バイのエンジンの「きゅる、きゅる…」という音が緊張を倍増させます。初めての体験。

前の走者がまったく見えない状態がずっと続いたのですが、痛みを気にしながら頑張って走り続け、何とか前の走者を抜いたものの、区間順位は28チーム中27位。記録は6.1キロを25分52秒という散々な記録。キロ4分で走れなかった??チームは最下位を脱出したものの、再度最下位に沈みました。 ダイエット目的で走り始め、この大澤駅伝に憧れて佐野走友会に入会し、ここまで走り続けることができました。

佐野走友会も私が入会したころは、燃えている(と思われる)会員が多く、練習会もあり、各レースで勝った!負けた!と切磋琢磨して走力向上を図ってきました。 最近は会員の高齢化(!?)が進んでいるせいか、ランニングスタイルも変化しているようです。

しかし、大澤駅伝で久しぶりに会員の方たちと話をすることができ、みんな走ることが好きで、何らかの形でランニングを生活に取り込んでいるようで、非常にうれしく思いました。

気になる話をひとつ。副会長から聞いた話です。走友会にO島さんという、かつては国際マラソンに出場したレベルの方がいます。今は走りからは遠ざかってしまったようです。結婚後なかなか家族の理解が得られず、走ることを諦めてしまったそうです。

仕事をしながら国際マラソンに出るレベルですから、走ることが心底好きでないと難しいでしょう。しかし、二者択一を迫られる状況になり家族を選んだんだろう、と。かわいそうだ、と言っていました。 確かに走らない人から見れば、走っている人って、変わり者に見えるかもしれません。

うちもそうです。箱根駅伝のビデオを見てると、「同じレースを何回も見て。馬鹿みたい」と言われます。

長いレースですから、往路~復路を見ているとひとつのレースを何回も見ていると思うのでしょう。また、高校駅伝、都道府県駅伝、マラソンなど、興味の無い人にとってはすべて同じに見えるのかもしれません。

「同じテレビ・ビデオをずっと見てる。馬鹿」と思われています。もう慣れましたが…。何を言われても、私は走ることが好きです。少しでも妻の理解が得られるよう、茶碗洗い、風呂掃除、洗濯、子守など、家事に精を出しています…。

ランニングが趣味という人がご家族にいたら、ぜひ走らせてあげてください。走らせてあげるだけで、機嫌が良くなります。もっと家族に優しくなるでしょう。

パチンコやったり、ふらふらつまらない遊びに行っているわけではありません。1時間、長くて2時間で帰ってきますので、走らせてあげて下さい。よろしくお願いいたします m ( _ _ ) m。余計なお世話ですが…、ランニングが趣味の方、結婚を予定しているなら相手にチャンと走ることが好きだと伝えておくか、結婚自体を再考すること勧めたいです。

とにかく走らない人にとっては走る人は異人種・異星人ですから… T T かなり脱線しましたが、大会関係者、チームの皆さん、付き添いしていただいた皆さん、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。^-^

郡市駅伝、そして世界へ

25日は郡市駅伝を応援してきました。 往路のゴール栃木市総合運動公園はうちの近くで、早速カメラを持って行ってきました。 まずは、ゴール近く東京インテリアの前の交差点で、応援です。往路最終区10.42キロ、ゴールまで約1キロのところで、疲労が絶頂近くになっているところと思われます。

芳賀郡チーム往路アンカー阿久津尚二選手。鮮やかなストライド走法。今年のニューイヤー駅伝で優勝した富士通の6区を走った選手ですよ。日本一のチームのメンバーがうちの近所を走ってくれるなんて…

高見諒選手。軽いですね。脇の監督者から檄が飛んでいます。こちらも箱根駅伝優勝チームのアンカー。

陸上競技場に急ぎます。

 

 

 

佐藤選手、西田選手の駒大コンビ。二人とも目指せオリンピックですね!

箱根駅伝の影響でしょうか?すごい人気です。サイン攻めにあっていました。

以下、いい歳して…、と思いましたが、ネタとして。。

お疲れ様でした!!世界陸上、オリンピック出場してください!!

(冗談で)「早稲田を応援していたんですが、高見選手も応援していました」「そうでしたか。すみません…」なんて謙虚なお方…。

来年の箱根駅伝では早稲田大学のライバルになると思いますが、今度は負けませんよ!!

選手の皆さん、お疲れ様でした。イヤー、皆さん細いですね。かなりのトレーニング、節制をしないとここまで絞れないでしょう。

結果は佐藤選手、阿久津選手のチーム芳賀郡Aが優勝しました。

宇都宮市と栃木市を結ぶ幹線道路を走るこの駅伝、多くの方の努力・協力があって開催されていると思われます。ご苦労様でした。選手はもちろん我々応援するものにとっても楽しみな駅伝。ぜひ長く続いてほしいです。

[…]

箱根駅伝に学ぶ、不況の乗り切り方

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はニューイヤー駅伝は富士通の二回目の優勝、箱根駅伝は東洋大学の67回目の出場にして、初優勝と言う快挙で幕を開けました。

ニューイヤー駅伝は最後のスプリント勝負までもつれ込み、秒差で富士通が優勝。惜しくも敗れはしましたが、日本人選手のみで戦った旭化成の3位は光ります。

箱根駅伝は駒沢・我らが早稲田大学の2強対決と言われていた中で東洋大学が優勝。ダークホースといわれていましたが、12月になって部員の不祥事で出場が危ぶまれているなかでの勝利でした。 3日の放送で、早稲田の駒野前競走部主将がゲスト出演し、レース前「今朝渡辺監督と話したら、『勝つよ』っておっしゃっていたので、勝つと思います」と言っていました。結果はご覧のとおりなんですが、それを受けて私は早稲田の競走部故中村清監督の言葉、

「勝つと思うな。思えば負ける。負けると思えばなお負ける」

と言う言葉を思い出しました。「おごらず、あせるな。弱気になるな。勝ち負けは抜きにして、ベストを尽くせ。結果はおのずからついてくる」と言う意味だと思います。

渡辺監督はもちろん復路を走る選手たちに「絶対勝つぞ!」とか、そういったプレッシャーはかけていなかったと思いますし、選手たちにも往路で駒澤大学が沈んだことにより緊張感が欠けていた、とかそういったことはないと思います。

しかし… 3年前亜細亜大学が優勝したとき、亜細亜の10区の岡田選手はスタート前、岡田監督に「3番でいいぞ!」と言われたことでリラックスすることができ、緊張せず走れた、と言っていました。

亜細亜大学の後続には王者駒澤大学のアンカー、区間賞を何度もとっている糟谷選手が1分差で走り出し一時10秒差までつめられましたが、見事に振り切り、初優勝を遂げました。

もちろん結果論ですが、当時4連覇を続けていた王者駒沢と、伸び伸びとベストを尽くすことを心がけた亜細亜の差かもしれません。 今回は東洋大学が強かった、と言うことに尽きると思います。実力では上を行っていた早稲田大学、これをよい経験として、さらに練習に励んで欲しいと思います。

仕事に関して… 現在100年に一度と言われている経済不況の真っ只中にいます。

脱サラしてからいろいろなことがあり、あれよあれよと言う間に過ぎていましたが、今回は少し様子が違うようです。

弊社は複数の国と地方を相手に商売をしているので、今まではある国の顧客が買うのをやめても、他の国が補填してくれたりして、年間を通じて安定して仕事がありましたが、ここ2ヶ月ばかりは全世界に不況の風が吹いているようです。

タイ・バンコクの「言葉のオーミ」の小堤社長も分析されているように今の時期は「勝負に出る時期ではない」との判断は間違っていないと思います。儲け、勝ちににあせることなく、ベストを尽くすことを考えます。今のうちに力を蓄え、将来の戦略を練り、飛躍につなげたいと思います。

小山土曜マラソンに増田明美さんゲスト参加

増田明美さんといえば、瀬古利彦さんと並んで我々の世代では今の石川遼君、浅尾美和さんたちよりヒーローだったと思います。

小学生の頃、学校から帰ってくると母親が「お兄ちゃん、増田さんがまた日本記録更新したって!」と知らせてくれたことがありましたっけ。

そんな増田さんが小山土曜マラソンに来てくださいました。お会いするのは初めてでしたが、気さくな方で、写真撮影なども気軽に応じてくださいました。

肝心のレースはというと、私はまだ右足裏が痛く、止めておきました。